2018.04.24
こんばんは、自由になったサルこと、矢野大地(@123Vaal)です。
僕はこの4月で社会人3年目を迎えます。
正直、一般的な生き方ではない方向に進んできているので、よく「あいつは大丈夫なのか?」と言われます。なので、”こんな生き方でも楽しく生きていけるんだよ”ということをわかっていただけるように僕のこの2年間とこれからについて書いておこうと思います。
今になってはこんなカッコつけて、言えますが、その当時は必死でした。自分の生きたいと思える生き方と、現実的な生き方と…いろんな生き方の挟み撃ちになってつらくなったことも、もちろんあります。
まあ、そんなこんなで大変なこともいっぱいありましたが、それなりに楽しんでやっています!
これを読んで、ちょっとでも「自分で自分の生き方をデザインしてみようかな。」と思ってくれる人がいれば嬉しいです。
目次
フリーターになっても僕の生きたい生き方を選びたかった。
僕は大学4年生の6月に小学校から目指していた夢をなくしました。そう、僕は小学校の高学年くらいから教師になるのが夢でそのために今まで勉強してきたと言っても過言ではないくらい努力してきました。
でも、実際に行った教育現場で見たものは僕が求める教育とは遠い環境だと感じました。
(参考→小学校から教員目指してて、教育実習行ってから教員になるのやめた理由)
それは、僕自身が今したいことではなかったということが一番大きな原因だと思います。
当時、周りの人はみんな就活をしていて、大体の人が卒業してからの進路もしっかり決まっていて、研究にいそしんでいる人が僕の周りには多くいました。
そんな中、自分1人がポツンと進路も決まらず、のらりくらりとやっている状況に正直焦りも、恐怖も、不安も感じました。
だから、数日引きこもって出てこなかった時期もありました。
でも、天性の才能である切り替えの早さで「おし!今やりたいことをやろう!」と考え、外に飛び出し、関わり始めたのが高知県の中山間地域でした。
僕が関わり始めた地域は高知県の嶺北地域といういわゆる少子高齢化社会の超最先端をいっているような地域で、僕と同世代んといえば数えるくらいしか住んでいないようなそんな地域でした。
そこには僕の役割だと感じることがとっても多くあり、そこに関わっていくことに生きがいを感じるようになりました。住んでいるところから車で1時間以上もかかるところに、週3、4回通ったのはそんな場所に僕の役割があると感じたからでしょうね。
ただ、そんなこんなするうちに時間は刻々と過ぎていきます。
不安もどんどん膨らんでいきます。
就活もしていなかった僕にはこれから具体的にどう生きていくのかという方向性も全く見えていなかったし、不安もあり、いろんな人に相談にも行きました。だけど、しっくりくる進路はなく、仕事をするからといって、今僕が感じている僕にしかできない役割を放棄することは絶対にしたくないという気持ちが強くありました。
だから、周りの大人の人はよくしてくれて、いろんな仕事の話もいただきましたが、すべてお断りさせていただき、最終的に4年生の3月、卒業式5日前まで一切進路が決まっていない状況でした。
そんなとき、僕の中には強がりなのか、割り切りなのか今ではよくわかりませんが、「好きなことして生きられるなら、フリーターで最低限生きられるだけの収入を得ながら余裕のある時間に好きなことをやろう。」という気持ちが湧いてきたんです。
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それでも怖くて、すがった場所が僕の人生に大きな価値を生み出してくれた
そんなときに、最後の頼み綱と思って、半年ほど関わらせてもらっていたイケダハヤトさんに”僕の好きなことをする時間を作ってもらう”ことを条件に雇ってもらうことはできないかと相談したことが僕の人生を大きく変えました。
イケダハヤトさんはその当時、高知へ移住してきて約半年が経った頃で、僕もアルバイト的にアシスタントの仕事をさせてもらっていました。
彼の仕事はブロガーといって、ブログを運営して、広告を掲載したり、商品を紹介したりする仕事で、正直僕はまったく興味はありませんでしたが、自分のやりたいことと両立できる道ならばと思い、お願いさせてもらったんです。
そして、社会人1年目、僕は「フリーランス(ライター)」として、社会に飛び立ちました。
ちなみに、イケダハヤトさんに雇用条件として提示されたブログ「自由になったサル」はまだしっかりと運営しています。もう、2年も経ちました。
そう、このブログという媒体が実はこの先、僕のキャリアを作っていく足がかりにとても大きな役割を示して行ってくれるのです。僕の人生にとても大きな価値を生み出す、きっかけとなったことは間違いないですね。
場所を選ばない仕事の”素晴らしさ”と”自己管理の大変さ”
社会人1年目から、僕は場所を選ばず仕事のできるいわゆる「ノマドワーカー(移動しながら仕事をする人)」というものになりました。
ブログをベースに発信やライター、また編集などの仕事をちょこちょこ任されたり、全くそれとは関係ない季節労働のバイトなどをやったりして、1年目は生計を立てていたのです。
だから、サラリーマンをやっている同世代からは、よく「お前は自由に働けていいな!」なんてことも言われたりもしました。
口では「いいだろ〜」なんていってましたが、実際は自分で自分のスケジュール管理から、お金の管理まで全部をしなければならないという状況で、正直「いいだろ〜」なんて働き方でもなかったのが実際でした。
もちろん、仕事場所は家でも、公園でも、スタバでもいいわけです。
それに関しては、気分によって場所を変えて仕事ができたので、すごく良かった反面。そうした管理を自分自身でやっていかないといけないという難しさも同時に感じながら生きてきました。
自己管理の苦手な僕が、よく1年間もフリーランスで生きてこれたなと今では感心してしまいます。
応援者、協力者によって、やっと自分の足でたてるようになった2年目!
2年目、僕はイケダハヤトさんに最初に言った通り、「自分のやりたいこと」で生きていけるようにいろいろと動き始めました。
が、正直、どうやったら中山間地域を盛り上げるような活動を仕事にするのかなど全然イメージできていなかったんです。見切り発車した僕を支えて、立たせてくれたのは周りの大人の人たちや大学の後輩、今まで繋がった多くの人たちの応援でした。
フリーランスの時は、どちらかといえば、自分が自分で考えて進んでいくしかなかったのが、この時から自分だけではできないことだらけになってしまったんです。
そんな時に助けてくれたのは多くの経験を積んできたカッコイイ大人の人たちでした。
本当にいろんな人の手を借りて、無事、NPO法人ONEれいほくという会社を立ち上げました。
今年、2年目に突入したのですが、大学時代の後輩であるハヤシ(@dxxb1212)、イケハヤ元アシ仲間のサトモト(@satohiro67)さん、インターンとして大学の後輩である、ゆき(@NhaaClaa )が中心メンバーとして関わってくれることになり、より多くの挑戦をできるようになったのが今です。
ちなみに、去年は、大豊町の特産品である碁石茶の生産量を拡大するための「碁石茶親衛隊」、農業従事者を増やすための施策である「半農半X型農業インターンシップ」、廃校利用した宿泊施設「汗見川清流館」の利用者促進、FAAVO高知のプロジェクトサポーター、土佐町を中心とした中高生のキャリア教育プログラム「マイプロジェクト」の運営、などなど〜ほんとに多岐に渡って仕事をさせてもらうことができました。
そして、今年は、これ以上にいろんなことを仕掛けていきたいと思っています。今年もどうかおたすけください。
1人で頑張ろうとしても小さなことしか生まれない
こうして思うのは、1人で小さな芽を咲かせても、大木になることは難しいってこと。
でも、周りで肥料をやってくれたり、水をやってくれたり、太陽の光を浴びせてくれる周りのなかまがいて、初めて、自分は大木になっていけるのだとひしひしと感じています。
2年目は、ほんと何度も一人で頑張ろうとしてしまった時があったのですが、結局自分ではなんともならなくなって、人に頼ることで、今までやってこれたなとつくづく思い知らされた1年でもありました。
アフリカのことわざでこんな言葉があります。
「早く行きたいなら一人で行け、遠くへ行きたいならみんなで行け」
フリーランスでやってきた時も、よくよく考えると、ほんとにいろんな人の力で少しずつ前へ進めてきたような状態でした。素早く進もうとして、1人で頑張っても、結局は自分の求めるところまで到達できず、またスタートに戻ってきて、なかま作りからスタートする。
そんな繰り返しで今までやってきたような気がします。
僕は遠くへ行きたいです。だから、3年目は「僕のやりたいこと」よりも、「みんなのやりたいこと」を僕が叶えられるような1年にしたいなと思うんです。
生きたい生き方はみんなでデザインする
そう、冒頭で書いた「生きたい生き方は自分でデザインできる。」
これは事実です。
実際に僕はほぼ、自分の生きたい生き方ができていると思います。
が、それは自分だけが頑張って、得てきたわけでもなく、周りが応援してきただけでもありません。
僕も必死で頑張ってきたし、周りも必死で応援してくれた、それが重なったから「生きたい生き方をデザイン」できたのだと思うんです。
日々、自分のできないことに悲観的になっても、自分ができないことをできる人を周りに持てば、自分もその人と一緒に生きていける。だから、”必死に1人で生き方をデザインしようとしなくてもいい”ってことを僕は伝えたいと思います。
それはまさに、生きたい生き方は自分でデザインできるけど、みんなでデザインしたほうがよっぽど楽しいし、よりより生き方を選ぶことができるんじゃないかなということなんです。
ただ、社会人3年目にしてわかったことは、「生きたい生き方をみんなでデザイン」する前に、デザインした絵を書くためのキャンバスを用意するのは自分自身だってこと。
それだけは、絶対に揺るがない真実じゃないかな。
まとめ
僕が高校生の頃、社会人3年目に標高700メートルの山奥に住みながら、NPO法人を立ち上げて、定期的にシカとかイノシシをさばく生活になるなんて微塵も思ってなかったな。
でも、こうして今、社会人3年目を迎えてるのだけど、毎日「これでよかったのかな?」なんて思うこともある。
でも、どんな道に進んでても、真実は同じ。
「生き方は自分でデザインできる。」ってこと。
それだけが本質的にわかってれば、どんな環境に自分をおいても、生きていけるという自信が湧いてくる。
あ〜人生、大変なことばかりだけど、楽しく、豊かに生きたいな。なーんてね。
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NPO法人ひとまき代表理事
猟師・企画デザイナー
月間4万人の人に読まれるブログ「ジムニーに乗ったサル」
ジビエ特化メディア「ジビエーる」を運営。
詳しいプロフィール
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