2016.04.15
目次
自由になったサルの略歴
1992年1月23日生まれ、水瓶座。
京都府出身、高知大学理学部への入学のため高知へ移住、現在は高知県9年目の26歳。(2018.6.5現在)
小学2年生まで京都市内(洛西ニュータウン)で育ち、その後京都府北部の宮津市という自然豊かな田舎へ引っ越す。
引越し先の小学校、中学校がクラス10人前後の小規模学校でのびのびと育てられるが、高校生になってクラスや関わる規模が大きくなりすぎて自信をなくし、殻にこもってしまう。
大学では高校までに関わった人たちから離れた高知で大学デビューを果たし、たくさんの友だちができるも、信頼できる仲間はなかなかおらず悩む。ヒッチハイクや自転車の旅などを通して、自分の可能性に気がつき、大学3年生の時に意識高い系の集まるイベントに参加。エネルギッシュなかっこいい大人に会って感化され、一念発起。
大学を休学して、震災支援活動へ参加するため、宮城県気仙沼市に1年間住みながらさまざまな出会いとアクションを起こしていく。
大学へ復学した後、地域の持つコミュニティの可能性に目をつけて、活動を開始。2度のクラウドファンディングを通し、共感してもらうことで自分一人の力で大きなことをしなくてもいいということを実感。自分は代弁者であるという認識を持ち始める。
大学4年生になり、進路を決める時期に小学校から目指していた教師という道に疑問を持ち、途方にくれる。が、ブロガーのイケダハヤトさんに相談し、アシスタント第1号としてベーシックインカムをもらい、ブログを書きながら自分で新しい道を切り開いていくことを決意。
2015年9月に、標高650mの古民家、だいちハウスに住み始め、全国からさまざまな人が訪れる場作りや地域づくりを1つのナリワイとすることを目指し、NPO法人を立ち上げる。
2018年6月現在、NPO設立3年目にして、4つの拠点(だいちハウス・ハヤシはうす・ぶんたハウス・わんく)を運営するNPO法人の代表を務めながら、ブログ・狩猟・企画デザイナーとして個人事業主としても複数のナリワイを営んでいる。
僕が大事にしている考え方。
詳しいプロフィールに入る前に、僕がとても大事にしている考え方を共有しておこうと思います。
それは、何かを選択するということは何かを選択しない選択をするということです。
今日、高知の山奥でこうしてブログを更新しているということは、他の別のところで誰かと何かをする選択を取らなかったということになります。
極論だけど、この考え方はすごく大事で、生きていく中で起こるさまざまな転換期に立たされた時、自分が何を選択すべきなのかをしっかり考え、後悔しない選択を選ぶために必要なのです。
今、僕は社会の中でものすごくマイノリティな生き方をしています。
だからこそ、この選択を意識して生きていくことは自分自身を守るためのスキルでもあるのです。
それでは、詳しいプロフィールを紹介していきましょう。
小学生時代
僕がまだ京都市内(洛西ニュータウン)に住んでいたころ僕は喘息持ちで外で走り回ったりすることも制限され、吸引機を片手にやるせなさを感じながら生きていました。
体の弱かった僕ですが、元気だけは一人前でよく高いところから落ちたり、頭を打って救急車で運ばれ、頭を縫う怪我をしたことはなんどもありました。いわゆる典型的なわんぱく少年ですね。
小学2年生の秋、親の仕事の都合により京都市内から京都北部の田舎へ移住することが決まり、そこからは母親の両親と共に暮らすことになりました。
市内に住んでいたころの小学校は全校生徒が1000人近くいる超マンモス校だったのですが、引越し先の小学校はその当時全校生徒で40名ほどの小規模学校ですごくびっくりしたことを覚えています。
ただ、もとより大勢の人のいるところよりはこじんまりした開けた場所が好きだった僕はともだちとも毎日外で遊び、自然を感じながら遊ぶことの楽しさを感じました。
そんな、僕の人生での大きな転機となったことが小学生時代に2つ。
それが、両親の離婚と喘息の完治でした。
両親の離婚はその当時の僕にとっては訳のわからないことで、大学生になるまでずっと心のどこかで引きずってしまう事柄になりました。ただ、その後さまざまな考え方に触れ、心にストンと落ちて、今では母子家庭であったことを誇りに思えるようになりました。
また、喘息を持っていたことにより、みんなと同じように運動することができなかった時期もありましたが小学5年生の時に担任であった先生の指導のおかげで、そんな自分にも自信を持つことができ、そして生きがいを見つけることになりました。
そうして、不思議と小さいころから悩まされていた喘息がどんどんよくなり、完治したのもこの先生の指導のおかげだと思っています。
その後、大学4年生までずっと先生になりたいという夢を持つようになったのもこのことがきっかけでした。
小学校から教員目指してて、教育実習行ってから教員になるのやめた理由
中学生時代
小学校と隣り合わせに立つ校舎だったので、同級生や先輩なんかもみんな知り合いという変わらない環境で中学生がスタートしました。クラスは11人だったかな。
部活はたった2つ。女子がバレー部、男子が野球部ということで野球部へ入部し、サードとピッチャーをしてました。
なんというか中学時代はこれといって特別なこともなく、ただ、淡々と過ごす日々が続いただけみたいな感じで、今思うともっと選択肢を意識してればな〜なんて思います。
強いて言うなら片思いの期間が一番長い切ない恋をしたくらいですかね〜
あの時期の青春は今思い出してもとても良い日々だったっすね。
高校生時代
クラス10人ちょっとの学校から、進学し大勢のなかでうまく自分を表現できず、埋もれてしまっていて、楽しくなかった時代です。
部活や学校での生活も楽しそうに振る舞うことはできたのですが、何か自分自身が色を出し切れていない感覚を常に持っていて、ちょっと変わった感覚を持っているからか、いじられるようになりました。
その当時、いじられることが本当に嫌でいじめられているような気分になったり、孤独だと感じる時間が多かったように思います。
ただ、大学生になってからはいじられるってのは興味がある証拠だということだからいいことだ!って感じられるようになりましたがね!
いじられキャラは最強。いじられるのが嫌いなきみへ、いじられることを楽しんだら勝ち
受験の時期に入ると、僕の進路選びの一番の理由は”ここにいる僕のことを知っている人から遠い所に行きたい”ということでした。
今思い出しても、思い通りにいかない苦しい3年間だったなと思いますね。
大学生前半
受験に失敗(本当は広島に行く予定だった)し、高知へ行くことになったのですが、僕は希望の満ち溢れていました。
というのも、今までの自分とはおさらばして新たに自分らしい自分で戦える場所となったからです。いわゆる大学デビューですね。
高校の時にうまくいかなかった友だち作りも、大学入学後すぐにいろんな人とアドレスの交換をして、遊びに行ったり、たくさんのサークルに参加して多くの人と関わることができました。
1年生の頃は5つものサークルに所属し、毎日スポーツしたり、遊んだりの日々を楽しんでいましたね。懐かしい。
2年生になった時に、所属人数が100人以上いるようなあるスポーツ系のサークルの部長になることがきっかけで人をまとめたり、何かを企画するということの経験をすることを身につけました。
本当に、遊び尽くしの2年間でしたね。
その時、特に力を入れていたのが、ボーリングです。
ハイスコアは277、ハイアベレージは235とまあ、普通の人なら出せないようなスコアを出すほど遊びを極めていましたね!笑
多い時で、週8回のラウンドワン通い。朝と夜に行くという強行をとった日も何日もありました。何かに取り憑かれたように先輩たちとボーリングで遊びました。
結果、ボーリングのし過ぎなどが重なり、右手首は腱鞘炎になってしまい、大きな挫折を味わいました。(※ボーリングは遊びです。)
ふと気がつくと、1日にボーリングに行かなければ何時間という時間を自由に使うことができることに気がつき、自分の将来について考えるようになりました。そして、新たしい出会いから、新しい価値観を知ることができ、もう一度自分の人生を見つめ直す時間を作ることになりました。
ハイスコア277まで出した僕が語る、ボーリングがうまくなるための5つのポイント
休学(宮城県気仙沼市での1年間の生活)
遊び尽くしの大学生活から一変。
今の自分を変えたい、この変わらない日常から抜け出したい
そんな思いが自分の足を動かし、あの東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県気仙沼市で教育支援を行なっている「認定NPO法人底上げ」ヘ1年間のインターンへ行くことになりました。
当時、震災から1年半が経ち、ハード面での瓦礫撤去などの支援のニーズよりも、教育やコミュニティといったソフト面での支援が求められているタイミングで、僕は気仙沼で週5日間ほど仮設住宅やコミュニティスペース、学校などにいって教育支援を1年間行なってきました。
そうした経験から、地域での具体的なアクションを起こしていく過程を学ぶことができたり、資金調達等の知識、経験が身につきました。
また、被災地でのこどもたちのリアルな現状を知ることができたのがとても大きな経験となりました。
そんな1年間の間にできたつながりが今も僕の背中を押してくれる力になっています。
大学生後半
復学し、高知に戻ると、そこには気仙沼での日々とは全然違った世界が存在していました。
1年前となにも変わらない世界がそこにはあったんです。
確かに東日本大震災があったことで、課題が明確化した東北の多くの街ではたくさんの新しい価値が生まれていってました。が、高知では新しい価値どころか、目の前の課題に目を向けることすらしない状況がありました。
そんな状況に、どう向き合っていいのか、半年ぐらい悩み、1ヶ月に2度も県外に出て、新鮮な刺激をもらいに旅に行ってましたね。
そして、半年がたった頃。
高知の嶺北地域という田舎のエリアとの繋がりができました。
そこには、東北で感じたことに似た課題と僕が「何かできるのではないか?」という希望が溢れていました。
大学生活最後の1年間は自分が気仙沼で感じたことを形にしたいという想いから高知の田舎の活性化に挑戦し始めました。結果約120万円の支援をいただいてプロジェクトは無事に達成。(プロジェクトはこちら→高知の荒地でシャクヤクを600本咲かせ、限界集落を憩い集落に)
実は大学では理学部で化学を専攻していて、普段着は白衣というやっていることがハチャメチャな感じでしたが、どうしても地域関係のことに興味が湧いていたので学校のことは片手間でやっていました。
ちゃんと卒業できたのは本当にかかわってくれた先生がよかったからだと心から感謝しています。ありがとうございます!
といっても、まあまあ真面目にうまいことこなすのが僕の得意なところでもあって、大学卒業時に習得した単位数は185単位で、教員免許状も中高の理科と数学を取ることができました!
本当に、学校外で色々なことやりながら、学校のこともよく頑張ったなと自分を褒めてあげたいですね。
四国八十八ヶ所めぐり
大学4年生の最後の夏休みに1人卒業旅行ということで四国八十八ヶ所巡りをしました。
高知の大学へ進学すると決まった時からのやりたかったことであった四国八十八ヶ所巡り。
当時、ちょうど進路のことや人間関係のこと、学校のことなんかで悩んでいて、”シンプルになりたい”と思っていたんです。
僕は四国八十八ヶ所にその答えはあるなとなぜか確信していました。
実際に自転車で16日間かけて野宿しながらいった四国八十八ヶ所巡りは僕の頭の中に渦巻く、様々な無駄な感情を取り除いてくれる機会になりました。(5キロも痩せて、お腹の無駄な脂肪も取り除いてくれました。笑)
パソコンも、ケータイも、持たずにやったことが1番いい要因だったかなと今では思います。
就活をしなかった
大学4年生の6月。
教育実習へ行って、小学校からの夢だった先生という道を諦めて、新しい道へと進む決意をしました。
教師という職業の尊さを感じたとともに、現代社会における教師という立場の限界も同時に感じました。
しかし、リクルートスーツをきて、全国回って、何百社という会社のエントリーシート書いて、、、そんなイメージが全くできなかったんです。
というよりか、就活はやりたいことには入っていませんでした。
だから、どっかで進路に対する不安も抱えながらも就活は一度もせず、知らぬ間に卒業間近の3月を迎えていました。
イケダハヤトとの出会い
そんな就活をしていない僕を拾ってくれたのが、かの有名なプロブロガーのイケダハヤトさんです。
まあ、拾ってくれたというか、僕が頼みに行ったらすんなり受け入れてくれたって感じでしたが、ほんとに好き放題にさせてもらっていて助かっています。
彼との出会いは、彼が東京から高知へ移住してきたほんの1、2ヶ月後のことです。
対談原稿の編集が4件。アシスタントほしいな…高知でいい人材はいないものか…。
— イケダハヤト (@IHayato) 2014年7月16日
こんなつぶやきに対して、僕が飛びついて、そこからちょくちょくお手伝いをさせてもらっていたんですよね。書き起こしとか、写真撮影とか、編集とか…
そんなことを4年生の時期にやっていて、そのまま就活もせずに進路が決まっていないってなったので、
「イケハヤさん!僕、就活してなくて、やりたいことがあるので、雇ってくれませんか?」
ってお願いしたんです。そしたら、
「生活費いくらくらいかかりますか?」
って言われて、
アシスタントになることが決定しました。
本当最低限のお仕事を任されて、ベーシックインカム(月10万円程度)をもらいながら自由に自分のしたいことにチャレンジしていっていいということになったんです。
そんな感じでイケダハヤトのアシスタント制度が誕生し、2018.6.5 現在では累計15名ほどがイケダハヤトのアシスタントを務めるまでになりましたね。
イケダハヤトって何者?アシスタントの僕が全力でイケダハヤトとはどんな人物なのか紹介するよ!
標高700メートルへの移住、田舎暮らし本格スタート!
大学を卒業して、フリーランスで仕事をするようになって昔からずっとしたかったことを思い出しました。それがとてつもない田舎に住んで、エネルギーとか食料を自活できるような生活をしてみることです。
ほんとは将来、仕事も辞めてリタイア生活の時にでもと思っていたので、こんなにも早くタイミングが巡ってくるとは思ってませんでした。
でも、こうした生活も実は若い時にした方がいいことが実はたくさんあったりします。
僕が現在住んでいる山は標高650mの場所になるのですが、ここに60代とかで移住してきたりしたら…大変でしょうね…
というか、不便すぎて、体力もたないと思います。
だから、今この生活を始めたことには何か意味があると思っているので、どんどん面白いことをこの山奥から生み出していってます。
どうも、初めまして。
高知県の山奥、大体標高600〜700mらへんにある古民家です。築は大体70年くらいで、床の抜けてるところとかあるんだけど、たまに若い子たちがきて直してくれています。周りの畑も広大なので、来年とかは作物育てるのかな〜?みんな遊びに来てね!— だいちハウス (@daichi_house) 2016年2月8日
住み始めた頃はこんなツイートしてましたね。懐かしい!
実際に、この後、床も綺麗に直せたし、田んぼやったり、狩猟やったりと完全に田舎暮らしに慣れてきています。
実際にやったことで、代表的なことといえば、
・サルをさばいて食べた
まあ、いろんなことに挑戦してみてます!生活のことはこちらにまとめています。
そして、住み始めた家は「だいちハウス」と命名して、いろんな面白い人たちの集う場所にしました。
現在は2016年に立ち上げたNPO法人の事業の一環として利用しているので、滞在希望などがあればそちらの申し込みフォームから連絡ください。
NPO法人を設立!若者支援×田舎暮らしにチャレンジ
だいちハウスに移住し、10ヶ月がたった頃。
地域の様々な立場で支援してくれる人たちの後押しもいただきながら、NPO法人を設立し、嶺北地域を中心とした若者のキャリア支援をスタートしました。
これまでに、
このままではなくなってしまうかもしれないと危惧されていた産業である碁石茶の生産量を拡大するためのプロジェクト「碁石茶親衛隊」を2年間進めてきたり、
農業を生活に取り入れていく生き方をしたい人たちのための1ヶ月のインターンシッププログラム「半農半Xインターンシップ」などを企画・運営してきました。
また、2018.6.5現在4つになった拠点(だいちハウス・ハヤシはうす・ぶんたハウス・わんく)の運営をして、年間のべ1,000人以上の滞在者を受け入れています。
この活動はこれからの社会を必ず良い報告に導いていくものだと信じて、これからも続けていきます。
そんな活動をより詳しく知りたい!って人はぜひ、こちらのリンクから活動紹介ページへ飛んでみてください!
僕の社会的価値
さて、こんな自由奔放な生き方をしている僕にもちゃんと社会的価値はあるのか…
株式会社インテリジェンスが運営している「MIIDAS(ミーダス)」というサービスを使って市場価値を測定してみました。
(転職した場合、どのくらいの年収で雇ってもらえるのかが診断できる無料サービスです。)
おおおお!転職したらなんと年収572万円。
僕にも社会的価値はあるってことですね!
ぜひ、皆さんも自分の社会的価値を測ってみてください。やり方は、以下のリンクから飛べます!
【年収・測定】社会不適合者な僕の社会的価値はどれくらいか計ってみたよ
僕の5つの強み
僕の強みをリクナビNEXTののグッドポイント診断(無料)で判断してもらいました!
100個ぐらいの質問事項に回答し、判断された僕の強みは的を射すぎていてびっくりしました。
俊敏性
何を行うにもスピードが大事だと考えているあなたは、思い立ったらすぐに行動することができます。たとえ、スピーディーに動いたことにより失敗してもまたあなたは同じようにすぐに行動するでしょう。なぜなら、あなたは動くことによるリスクや損失よりも得られることの方がはるかに大きいと知っているからです。…
決断力
あなたは非常に思い切りよく決断を下すことができます。長時間考えこんでもいい結論にはつながらないと考えており、そのとくに自身が最適だと考える明確な結論をスピーディーに導き出すことを心がけています。周囲の人から、「よく考えての結論なのか」と確認されることもあるでしょう。それは、あなたが周りと比べて短時間で大胆な決断を下していることを指しています。…
独創性
「人と同じではつまらない」あなたはいつもそう考えています。あなたはオリジナリティにこだわりをもち、仕事でもプライベートでも自身が納得出来るかを重視します。あなたは常識にとらわれず広い分野から情報を収集し、興味がある題材が見つかると自分だったらどうするか必ず考えるなど、自分の独創性を高める努力をし続けます。…
柔軟性
あなたは好奇心旺盛で興味の範囲が広く、ものごとを柔軟に捉えることができます。また、突発的なできごとに対して臨機応変に対応することも得意です。何に対しても「もっとよいやり方があるはずだ」と考え、様々なアレンジを繰り返していくためあなたの取り組みはどんどん進化していきます。あなたにとって、ひとつのやり方しか考えられないことが悪なのです。…
高揚性
変化や刺激はあなたにとってとても魅力的です。あなたは周りの人よりも楽しむことが得意です。
まさに、この通りな感じです。
何かを決めるときは、サクッと決めて、サクッと行動します。
それに、何かを始めるときに、常に新しさを求める傾向もありますね。他の人がすでにやっちゃっていることとかにはあまり興味が湧きにくい性格でもあるかと!
【就活生必見!】自分の進路を考える上で大切にしたい3つのポイント
オススメの本5選
僕が今、超オススメする本を5冊ご紹介しておきます。どれも、ハッと気づかされる深さと鋭さを持った本になってます。
人生の選択の仕方に新しい風を吹かせてくれる一冊。
諦めることに対してネガティブじゃないですか?生まれつきが99%!?為末大さんの「諦める力」が的を射すぎている件
この人の世界観はほんとに触れておくべき。僕たちがみてるレイヤー(層)の外側って?
自分がどんな人生を歩んでても大丈夫と思えるそんな一冊。人生一度きりなんだし、やりたいことやろうや。
【人生の100のリスト】やりたいことをとことんやっていく人生はダメなのか?
単なる小説ではなく、自然と人間の”性”を美しくも儚く描いているシリーズもので、NHKアニメにもなっている名作です。
ちなみに、上橋菜穂子さんの小説はほんとどれも素晴らしいので、オススメですよ!
生き物の”生”と”性”を改めて感じさせられる。子どもに読ませたい小説ナンバーワン”獣の奏者”シリーズがおすすめ
絵心は誰にでもあることを証明してくれる一冊。絵が下手だと諦めなくてももう大丈夫。
僕も下手くそだったけど、この本を読んでから、落書き力をつけることを意識して、少しは上手くなりました!
最後に…
長いプロフィールお読みいただき、誠にありがとうございます!
一般的な生き方を捨て、自分の「やりたい!」を軸に自分らしく生きている平凡な男の生き方をこのブログでは綴っています。
初めて、当ブログを訪れてくれたあなたも、いつも当ブログをお読みいただいているあなたも。
僕の生き方を見て、「こんな生き方でもいいんだな」と思ってもらえるようなブログにしていこうと思いますので、どうぞ更新を楽しみにしていてくださいね。
また、「会いたいです!」、「一緒にプロジェクトやりましょう。」、「講演に来てください。」などなど大歓迎です。
皆様からの連絡をお待ちしています。
連絡手段
メッセージや普通の連絡はFacebookのメッセージもしくはTwitterのメッセージでお願いします。
また、そうした媒体での連絡ができない場合は《vaalball0123あっとまーく(@)gmail.com》へご連絡ください。その場合は返信が遅くなる場合がありますがご容赦ください。
質問も随時受け付けていますので気軽にどうぞ!→サルの質問部屋
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NPO法人ひとまき代表理事
猟師・企画デザイナー
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ジビエ特化メディア「ジビエーる」を運営。
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