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平凡な23歳だった僕が、標高700mの山奥で生活することを決めた理由

2017.02.23

僕は大学卒業後、半年間は都市部で生活していましたが、その後、現在住んでいる「だいちハウス」へ引っ越し、1年半が経ちました。

そんな平凡な23歳の僕が標高700mの山奥で生活することを決めた理由を昔から遡って、振り返ってみました。

自分を表現しきれなかった高校時代

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僕は、高校時代自分自身を表現しきれず辛い思いをしました。

小規模な学校から来たからという理由でいじりの対象にされて、結構辛かったです。

いじられることに対して、ポジティブに捉えられるようになるまでには時間がかかりましたね。

 参考

いじられキャラは最強。いじられるのが嫌いなきみへ、いじられることを楽しんだら勝ち

当時は、自分はこうしたいのに、こんなことを感じているのに、それを言葉にできなくて辛い想いをしました。

高校3年間、毎日が自分の人生のようで、自分の人生じゃない、そんな日々を過ごしていたなと今では思います。

今思うと、悔しくて、悔しくてしょうがなかったです。

トコトン遊びまくった大学時代

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大学生になり、人との関係性を全てクリアにして”NEW矢野大地”として、飛び立ちました。

そしたら、1年生の夏休みには毎日ケータイ電話が鳴り止まないくらい”人気者?”になり、毎日が楽しい日々でした。

毎日、飲んで、騒いで、遊んで、バイトして、恋愛して…めちゃくちゃ楽しい日々を送っていたんですよね。

 

3年生へ上がる春休み、気づいたら自分の周りにいる同世代の人たちみんな、将来のことを考え、勉強したり、進路相談に行ったり、資格を取ったり、とても忙しくしていました。

たぶん、そんな中でまだワイワイ遊んでいたのは僕ぐらいだったんじゃないかな〜。「そろそろ現実を見ろよ」と言う、ともだちの声もその時の僕には全く届いていなかったです。

「現実」ってなんだよ!うめーのかよ!バイト終わりのビールの方がよっぽどうめーよ、バーカなんて思ってましたね。その時は。

進路を見失い、自分が何がしたいのかを問いまくった

でも、あるとき、「あれ?僕って何しに大学に来たんだっけ?教師になりたかったんじゃなかったっけ?」と気づいて、将来に向かう恐怖から逃げて、休学し、東日本大震災の復興支援へ1年間行きました。

東北にいる間に、自分自身の役割を見つけて、その役割を全力で追い求めました。

そこで、関わる多くの人からたくさんのことを学び、知り、今まで自分が選択して進んでこなかったことに気がつきました

敷かれていたレールの存在を知ってしまって、そのレールに沿って生きていく人生で僕はいいのだろうか。そんな風に思ったんです。

 

その後、大学へ復学した頃にはもうずっと自分が将来何をして生きていきたいのか明確に持つことができていなかったんですよね。

もともと、教師になることを目標に大学へ進学したこともあり、教員免許取る為の単位所得や教育実習にもいきましたが、いってみて、なおさら教員という仕事が自分に向いていないなと感じたんです。

僕は小学生の頃からずっと考えていた、進路を見失うことになりました。

人とは違う生き方をしないと生きていけない

進路を見失ってから、僕は自分がどうやって生きていったらいいのかわからなくて、半分引きこもり状態で、鬱々とした毎日を過ごしていました。

毎日、家の中でパソコン開いて、動画見たり、漫画読んだり…まあ、それはそれで楽しいのですが、毎日が変化のない日が続きました。

そして、ふと気がついたことが、「人と同じ生き方ではダメだ、同世代ができないような生き方をしないといけない」ということでした。

この年まで自分なりに考え、進んできた道がプッツリ途絶えてしまった。じゃあ、自分自身が心からやりたいと思える仕事をせずにただ心を駆逐していく将来は絶対に嫌だなと考えていたんです。

だから、「人と違う」ということを武器に勝負していこうとこの時、決めました。

ここでなら生きていけるんじゃないかと思えた「だいちハウス」との出会い

大学を卒業し、イケダハヤトさんというブロガーの人に雇ってもらえることになった僕は結構自由な時間を過ごしていました。

ただ、心のどこかで生かされているという感覚が拭えず、「この人に一生雇ってもらえる状況じゃないしな」と考えていました。

そんな時、大学時代から通っていた高知県れいほく地域の本山町の山奥にある、とても素晴らしい空き家を紹介していただくことになったんです。

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連れてこられた場所から見た景色、そして、家の中の環境、全てが僕がイメージしていた憧れの生活に近いことに驚きました。

僕の頭の中の妄想スイッチが連打され、ここでやりたいと思うことが次々と溢れ出してきました。

と同時に、僕と同じ世代でこれほどの山奥に住み、生活を作っている人はほとんどいないだろうということも決め手になりました。

そこには確実に「人と違う」があったんです。

山の中に僕の役割があった

住み始めてから、よく「なんでこんな不便な田舎に住んだのか」とよく言われます。

でも、僕からすれば「こんな不便な田舎だからこそ住んだ」と答えます。

こんな場所だからこそ、僕がいる意味があるし、僕がここで自己実現をしていく意味が明確に見えるのです。

それは、都会へ出て会社員をするよりもよっぽどワクワクするし、自分にしかできないことだと確信したんです!

田舎にはよく、問題として取り上げられるキーワードがあります。

「少子化」、「高齢化」、「人口減少」、「産業衰退」、「耕作放棄地」、「空き家」…

これだけの問題があるということは、これだけの問題を解決しなければならない役割も多く存在しているということだと思うのです。そして、それは仕事に変換することができます。

僕は自然とそのことに気がつくことができたから、この家に住むことをとても積極的に選択できたと今では思っています。

まとめ

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つい先日、ある大学で講演をさせていただいたのですが、大学生に「あなたはなんで、その椅子に座って僕の話を聞いているのか?」って質問を投げかけたことがあるのです。

250人以上もいる講義室で自分がそこにいるってことに意識を向けられている人は5人にも満たない状況でした。

僕も昔は彼らと同じでした。

 

だからこそ、本当にやばい状況だと思うんですよ。

今後、社会はもっともっと多様な生き方、考え方が増えてきて、それを形にしてく時代となっていきます。「今まではこうだった」は確実に意味をなさない時代になってきています。そんな時代に足を踏み込んでいることに気がつきながらも、自らの行動や進路を変えられない。そんな時代なのです。

こういう頭と行動が結びつかないことが若者の「精神病」が増えている理由だと僕は思っています。

当たり前を疑うことでしか、次の新しいところへは行けません。

僕が標高700mの山奥に住み始めたのは「当たり前を疑った」からなんです。

この記事を読んだ方へ伝えたいこと

正直、この行動がどんな結果を導き出すかはわかりません。が、確実に言えることは、僕が挑戦したことで何かが変わっていく感覚を日々得ているということです。それによって生活に対しても、生き方に対しても、とても充実感を得ることができています。

自分なりの、生き方や考え方を形にすることでしか、この時代は生きていくのは難しい。

これは、僕みたいなちっぽけなやつの戯言ではなく、多くのこれからの時代をみる専門家の人たちが言っている事実なのだということを真摯に受け止め、考えてみてください。

それが周りの今までつるんでいたともだちを失うことであっても、それはあなた自身の人生を生きた証拠です。

必要なのは”勇気を持って、踏み出すこと”たったそれだけです。

僕の挑戦をぜひ応援してください!

現在、クラウドファンディングというインターネット上で資金を募るプロジェクトに挑戦しています。

絶対に死なないシェアハウス”を作りたい!というプロジェクトです。

僕が標高700mの山奥に住み始めたことと同様、この家から、自分の足で立って、挑戦していく人を増やしていきたいと思っています。

一階のシェアスペースは基本解放していて、支援をしていただくとイベント参加や宿泊も可能です!

また、直接来れないという方へのお返しも、たくさんご用意しています。

まずはプロジェクトページをのぞいてみてください!残り2日間ですので、どうか、みなさまのお力をお貸しください。

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矢野 大地 (やの だいち)


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