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お母さんから25歳の誕生日に「プリンター」が送られてきた話。

2017.03.16

 

どうも、自由になったサル(@123Vaal)です。

 

さて今回は、とても私的な話しです。

僕のお母さんの話しです。

これを読んだあと、あなたは僕のことをこう呼ぶでしょう。

「マザコン!」と。

でも、僕はそんなの痛くもかゆくもありません。だって、本当最高の母親に育ててもらえたって思うから。

今年の誕生日プレゼント、それは「Canonのインクジェット複合機(プリンター)」でした。

先日、僕は25歳の誕生日を迎えました。(パチパチパチ〜)

はい。ありがとうございます。

 

その日も、普段と変わらない1日が始まろうとしていました。

「すいません〜荷物が矢野さん宛に届いています!」

そんな声が外から聞こえてきたので、「お!誰かが誕生日にプレゼント送ってくれたんだ〜」なんて浮かれて外でたら、、、びっくり。

配達屋さんが、届けてくれた箱のデカさがやばかったんですよ。笑

普段、急にこんな大きな荷物が届くことはないので、ほんとびっくりしました。

箱を見ると、なんとAmazonの欲しいものリストに載せていたインクジェット複合機でした!

P2280608

「え〜〜〜!誰か、ブログの読者の人がプレゼントしてくれたのかな〜!こんなに高いもの誰が…お礼しなきゃ!ニワトリ1羽でもあげようかな…」

なんて考えてて、送り状をめくると、なんと送り主は「お母さんでした。」笑笑笑

一瞬、親から誕生日プレゼントにプリンターもらうとは思いもしてなかったので、凍りつきましたが、少し時間をおいて「お母さんらしいな」と思いました。

そんな僕のお母さんがなぜ、僕の25歳のプレゼントに「インクジェット複合機(プリンター)」を送ることになったかを僕なりに考えたので書いていこうと思います。

世の中のマザコン仲間の方はぜひ僕のストーリーを参考にして、よりよいマザコンライフを送ってくれればと思います。

1992年1月23日、大雪の日に僕を生んでくれた

生まれた頃の記憶を僕は鮮明に覚えていません。(→当たり前)

僕が生まれた日は何十年ぶりかの大雪が降った日で病院に行くのもとても大変だったらしいのです。

地元は超豪雪地帯ではないですが、毎年30〜50㎝ぐらいは降るのですが、その日はなんと1m以上の雪が積もっていたそうなんですよね。

そんな大雪を降らせてしまうぐらい、壮絶な出産を経て、僕は1992年1月23日(メモメモ_φ( ̄ー ̄ ))にこの世に生まれました。

喘息で病院通いの僕を必死に育ててくれた

生まれた頃、特に大きな病気などもなく元気に育っていた僕ですが、一つ大きなハードルを抱えていました。

それが「小児ぜんそく」です。

僕の周りにはあまりひどいぜんそくを持っている人がいなかったので、気持ちをわかってくれる人もいなかったですが、この病気とても辛いんです。

ましてや、僕みたいにちょこまかと走り回りたいこどもにとっては悪魔のような存在でした。

ある日、公園で走り回っていると呼吸が重く、小さく、苦しくなっていき「ヒーヒーヒー」と低めの息の音が喉から漏れてくるのです。

その音を周りの友だちに聞かれるのが恥ずかしいというのが実は一番苦しい原因でした。

だって、この音が出るとみんな心配して「帰りなよ〜」みたいな感じで一気に冷たくなるし、病人と思われ、避けられるのが辛かったからです。

今、思えばとても病弱なこども時代でした。

 

大人になってから、保育園の出席票を見ると、1年の半分以上は出席スタンプが押されていなかったことに衝撃を受けたこともありました。ぜんそくによる病気の併発で病院通いが日常だったそうです。

そんな病弱な僕を常に支えて育ててくれたのがお母さんでした。

離婚し、女でひとつで僕とアニキを育ててくれた

いろんな原因があって、僕が小学校4年生の時に両親が離婚しました。

その当時は母子家庭という現実に打ちひしがれている時もありました。

だけど、お母さんをはじめ、僕ら兄弟のことを一心に考えて、支えてくれるおじいちゃん、おばあちゃん、地域の人たちが近くにいたので、それがとても大きな支えとなりました。

離婚してからは、よる遅くまで仕事をして帰ってくることも多々あるくらい、必死に仕事をしてくれました。

その当時はわからなかったですが、本当にこの人はすごいなと思える人です。

僕の人生で一番尊敬している人はと聞かれれば真っ先に「お母さん」と答えますね。

大学まで送り出して、好き放題やっている息子をいつも応援してくれた

母子家庭でお金に余裕がある家庭ではなかったのですが、僕は大学までしっかりと行かせてもらう事が出来ました。

僕は「学校の先生になるための教員免許を取りたい!」という理由で大学へ行かせてもらったんです。そうそう、小学校のころから、先生になりたいと思ってたんです。

大学3年生の時に休学して、東北へ行って教育支援のNPOでインターンする時も「学校の先生になるために経験を積みたい」といって行かせてもらいました。だいぶ戦いましたが、僕を認めてくれて送り出してくれました。

それだけお金も時間も使って応援してくれましたが、僕は現在、教師という仕事についていません。

 

もちろん、いつもぶつかりました。

「休学することは教師になるためにマイナスにならないのか?」、「教師という安定した職業を捨てて、なぜそんないばらの道を進むのか?」……そんな風に疑問をぶつけられ、僕の不十分な説明に対して、明確な提案をしながら導いてくれようとしました。

が、結局は折れない僕に、お母さんの方が折れて、僕の事を応援してきてくれました。

心のどこかで腑に落ちない気持ちがありながら、息子が進みたい想いをすくい取ってくれたのです。

「プリンター」は僕への先行投資!

そんな僕は現在、NPO法人の代表をしています。

高知県れいほく地域という場所を中心として、若者を中心としたまちづくりの活動をしてます。

昨年立ち上げたばかりの新米NPOなので設備なども何もない状態。事務所は今住んでいるボロ屋の奥の小さな部屋です。

そんななか、100枚プリントするのに1時間近くかかるプリンターに日々悩まされ、ずっと複合機のプリンターが欲しいと考えていたのです。

 

そう、これが、お母さんが僕の25歳の誕生日に「プリンター」を送ってきてくれることになった理由です。

今、僕のなかで一番大きなこと。それがNPO法人の運営のことなんです。

その手助けになるようなことがじつは僕にとっては一番助かるし、嬉しいことだとお母さんは知っています。

だから、息子の誕生日に「プリンター」を送ってきたんです。

僕がこれからもっともっと頑張れるように!もっともっと高みに行けるように。その先行投資がこの「プリンター」なんです。

 

ほんと、こんなお母さんに育ててもらって僕は幸せです。生きててよかったって思います。

直接は言えないけれど、ブログでこっそり書いておこうと思います。

お母さんありがとう。僕はもっともっと頑張ります!

これからも宜しく!!!!!

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